諭吉青年を怒らせた深夜の納涼舟
幕末の大坂で書生暮らしの福澤諭吉は、夏の深夜12時過ぎ、難波橋の上で川下から三味線の音を聞いた。「忌ま忌ましい。あんな奴がいるからこちらが貧乏するんだ」と腹を立て、手にした小皿を川に投げつけた。はたと三味線の音が止まったが、一目散に逃げ去った。
その1か月後、書生仲間がある席で芸者の歎きを聞いて話題にした。それは、
「1か月ほど前の夜、お客と舟で難波橋の下で涼んでいたら、橋の上から小皿が飛んできて、私の三味線を打ち貫きました。怪我のないのが幸いでしたが、実に憎らしい者がいるものです」。
聞いた福澤諭吉は内心驚いたが、知らぬ顔を決め込んだ(『福翁自伝』)。
この回想で大坂も江戸も夏の川は、納涼舟がひしめいて、橋は夜中の 12 時にも通行可能だったことがわかる。
江戸の橋も調べると、今日に通じる意外なことがアレコレある。
橋用の材木費をネコババして改易になったお殿様
江戸幕府が最初に架けた橋は両国橋である。明暦の大火で、炎に追われ人々が大川(隅田川)で溺れ死んだ。これを避けるため幕府は架橋を決断した。万治2年(1659)に完成し、寛文元年(1661)に道奉行の支配下に置かれた。
両国橋は全長 170.89 メートル、幅 7.27 メートルで、上流下流を眺めれば、房総の連山、筑波、日光、浅間、富士の諸名山が望める。江戸新名所だが、20 年後の天和元年(1681)、巨大台風で半壊流失してしまった。
当時、最上の材木は檜で、総檜普請の両国橋だった。ところが檜は濡れると 18、9 年で腐る。伊勢神宮の 20 年式年遷宮も檜の耐水性の弱さを示唆する。
むしろ槇(イヌマキ)の方が耐水性が強く、40 年以上もつので、後に幕府は槇を採用する。適材適所なのである。
さて幕府は、早くも台風災害の5日後「両国橋懸直奉行」(りょうごくばしかけかえぶぎょう)を旗本2人に任じ、上州沼田(群馬県沼田市)3万石の真田伊賀守へ橋材調達を命じた。工事は江戸町人に「入札」で「請負」させる。沼田真田領から両国橋用の材木を伐り出し、工事する江戸町人に送る段取りである。
だが、3か月後には沼田の真田家改易、奉行の旗本2人閉門、沼田城破却にまで発展した。架橋工事請負の江戸町人から多額の金を受け取りながら真田伊賀守が材木を出さなかったからである。
身分制度の時代でも、大名が江戸町人(ゼネコン)との違約や詐欺をすれば、幕府は容赦なく大名を取り潰した。
手抜き工事でぼろ儲け、会所の運営費を投機に流用…
大川への2本目の新大橋は、幕府が合計 967 本の材木と現金 2,343 両 3 分と銀 13 匁 6 厘を支給する条件で入札させ、白子屋伊右衛門が「晴天 80 日間」の工事期間で落札した。それを白子屋は 52 日間の工事で完成。28 日も短縮して工事人足代を浮かす手抜き工事らしい。時に元禄6年(1693)である。
その5年後、1.2 キロ南に永代橋が5代将軍綱吉の「寿命永代に」の意味で架橋された。2人の町人が請負、架橋発令から完成まで4か月の超スピード工事。しかも上野寛永寺の大造営中で、その余り木を使ってのけた。請負の2人の利益は、1人 1 万 2,000 両、計 2 万 4,000 両、という(『江戸真砂六十帖』)。で、
「永代橋、新大橋とも大破にて、橋杭は腐り、往来は危なく」
と、21年後の享保4年(1719)に記録されるありさま。異常に早く橋がボロボロになった。粗悪な材質と手抜き工事の結果である。
時の8代将軍吉宗は、新大橋を架け替え、永代橋は廃橋と決めた。
それを深川の全住民が永代橋の払い下げを求めて、町人管理の有料の橋とした。修理費は檜の半額の槻(けやき)でも 6,127 両也。いかに永代橋請負2人の 2 万 4,000 両が法外な儲けかわかる。
この修理でも 10 年ももたず、民営の再架橋となったが、橋賃は1銭から3銭にまで値上げした。その後、民営「永代橋」は、富岡八幡宮祭禮で落橋、440 人の犠牲者を出すことになる。
極め付きはこれ。文化6年(1809)、菱垣廻船船積仲間(ひがきかいせんふなづみなかま)が両国橋、新大橋、永代橋の管理を願い出て、三橋会所(さんきょうかいしょ)を作った。廻船の流通業者が公団方式で江戸の橋を管理したことになる。
しかし、10年で会所の責任者は江戸追放、町年寄・樽家の当主は自刃、会所は廃止を命じられた。
橋の維持管理費と会所運営資金を米相場に投じて、16万両の損失をしたからである。呆れるほど現代に通じる。
浮世絵に描かれた江戸の橋は、今と変わらぬ事件を秘めているのである。
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