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今週の話材「お酉様」

酉の市で縁起物の熊手を買うと三本締めをするのには理由がある

[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]

関東では晩秋から初冬にかけた歳時記である「お酉様」。威勢のいい掛け声とともに、1,000円程度の小さなものから何十万円もする大きなものまで、縁起物の熊手が売られていく。それにしても、どうして〝熊手〟なのだろう…。

酉の市で縁起物の熊手を買うと三本〆をするのには理由がある

じつは関東近郊以外では超マイナーな「お酉様」

 毎年11月の酉の日、神社の境内に市が立ち、威勢のいい熊手売りや数々の露天が並ぶ。カレンダーを意識しないでも、思わず「もうお酉さんか」と口をついで出るほど、関東では代表的な晩秋から初冬の風物詩だ。
 北は福島県から関東地方に多く、それ以外の土地では、

「お酉様って何?」

 と首を傾げる人も多いはず。筆者の連れ合いも信州・長野県の出身なので、酉の市を知らなかった。

 この酉の市の起源にふれて、埼玉県の「鷲神社」もしくは東京の「大鳥神社」の祭礼を起源として、「鷲神社は武運長久の武士の信仰を集めていたので、盛大な酉の市となった」と説明する人もいる。
 だが、それだけでは鷲神社と盛大な酉の市がどういう関係にあるのかは、わからない。武士の信仰なら全国の八幡宮のほうがふさわしいのではないだろうか。

 そもそも室町時代にまでさかのぼると、都を除けば、常設の市場などなかった。定期的に特定の広場や神社の境内で、神様に祈りを捧げ、交易をしたのだ。
 そういう神聖な場所を「いつき(斎)ば(場)」と呼ぶことから、「いちば(市場)」となった。

 この交易を平和に取引することを「和市(わし)」という。室町時代は、各地の米の取引値段を「和市」と呼んだ。
 この平和な交易「和市」が行なわれた神社が、武蔵の鷲宮神社(埼玉県北葛飾郡鷲宮町)の境内だった。平和を保障したのは鷲神社の祭神であったのだろう。

江戸の都市化で生活に縁のなくなった〝熊手〟が祭の縁起物に

 関東全域の鷲神社(大鳥神社)は、江戸時代以前から酉の日に和市の市場が立つ場所だった。古いところでは、応永22年(1415)の武蔵国鷲宮神社(埼玉県鷲宮町)境内で、市場を開くとき詠まれた祈りの祭文が残っている。

 むろん、古文書の以前から鷲宮神社では市が開かれていて、これを鎌倉幕府はことのほか喜び、鷲宮神社に位階まで贈っている。
 当時の関東地方は武士団がひしめく田舎なので、生活必需品を平和に売買できる市場を幕府は大歓迎した。市の主な商品は、おそらく農機具や消耗品の熊手などだったろう。

 江戸時代には鷲神社(大鳥神社)の酉の市は、年中行事に組み込まれたが、江戸の都市生活では農器具や熊手は生活に関係ない。それに必要なら、店でたやすく買うことができた。
 酉の市で熊手が名物になったのは、室町時代の商品が祭りの「縁起もの」に変わったからである。

 市場は近郊のあらゆる職業の人が出会う場所でもあったので、江戸時代になってから山で暮らす人々が作る熊手が縁起ものに変わったに違いない。

 「酉の市」は、商品を平和に売り買いする「和市」という古い市場の形態を現代に伝えているわけだ。もちろん、和市以外では「押し売り」があり、武家が武力にものを言わせた「押し買い」というのもあった。
 それらを禁止したのが「和市」である。

 なお、「酉の市」は鎌倉以来の幕府政権の数少ない民政の名残でもある。そのため酉の市では、平和に売買が成立(和市)すると、和市の神様(鷲=大鳥神)に誓約するため三本締めをする。

▼「今週の話材」
著者 : 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター) 1949年、神奈川県に生まれる。日本大学芸術学部映画学科で映画理論を専攻。放送作家を経て、『やじうま大百科』(角川文庫)で雑学家に。「万年書生」と称し、東西の歴史や民俗学をはじめとする人文科学から科学技術史まで、幅広い好奇心を持ちながら「人間とは何か」を追求。著書に『「散歩学」のすすめ』(中公新書クラレ)、『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』(講談社プラスα新書)などがある。
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