七福神の発祥は室町時代。禅僧の“言葉遊び”から生まれた?
一般に信仰心が薄いといわれる日本人だが、正月だけは別。除夜の鐘に耳を澄まし、全国の寺社仏閣は初詣の人でごった返す。
ふだんは滅多にお目にかかることのない“七福神”が活躍するのもこの時期だ。縁起のいい夢を見ようと七福神の絵を枕の下にしのばせる人もいれば、旅行会社は各地で七福神巡りのバスツアーを企画する。
七福神巡りコースというのは全国にあり、東京では「谷中七福神」が最も古い。享和年間(1801~1804年)に始まり、次が「向島七福神」(文化・文政・1804~1830年)。他に「浅草七福神」「下谷七福神」「山ノ手七福神」もすべて幕末で、意外にその歴史は新しい。
そもそも七福神たるやなんなのか。
「恵比寿」「大黒天」「弁才天(弁財天)」「毘沙門天」「寿老人」「布袋」「福禄寿」だが、最も古い谷中七福神では「吉祥天」が加わり、八福神になっている。
もっとも「七福神」が「七」にこだわるのは仏教用語の「七難七幅」と中国の「竹林の七賢」を室町時代の禅僧がなぞらえたもので、いってみれば“知的遊戯”の産物である。
その伝統は江戸時代にも残って、『街談文々集要』の戯文では、「福寿」が七福神になった由来を、その娘「お多福」が当時の幕府へ上申する書き上げの調子で書いている。
文中七福神は毘沙門天を将軍にいただく閣老に擬して、福寿の閲歴を
「毘沙門天様(の)御代、私(の)父福寿、延命小判(の)改(あらため)御用あい勤めそうろう節、部屋住みより召しだされ、見習いおおせつかり、文福元年甲子(きのえね)年、福寿、金銀米銭たくさんにまかりなり、願いの通り隠居仰せつけられ、この旨鶴亀の間において七福神御列座、出世大黒天おおせ渡さる、直に御金蔵白鼠番仰せつけ、当時、金貸し仕りそうろう」
てな調子で、ご丁寧に書き上げの本人「福神組西ノ宮夷三郎支配、叶福助妻お多福」とある。
宝船の上で繰り広げられる神様たちの「東アジア首脳会議」
この調子だから、七福神はほとんど遊びと化していた。
「大黒」からして、もともと天台宗の寺院は「大黒天」を持っていて、寺院の台所に入ってくる悪霊を追い払う神様だった。天台寺院の三面大黒を見れば、恐ろしい憤怒の顔をしている。
これに日本の神話の大きな袋を背負った大国主命が語呂合わせで重なって、その顔つきが温和となり姿まで福々しいものに変わって、打ち出の小槌を持つようになった。
さらに西ノ宮の夷神社の社人の宣伝が加わり、主祭神の夷が恵比寿様となり、これに中国の七賢から布袋様が追加され、寿老人は道教の道士の服装で、福禄寿は星の神様、インド渡来の技芸の神弁財天…と、東アジアの主な神様がサミットのごとく揃っている。
その意味では、正月行事としては、拝むほうも拝まれるほうも実にめでたいし、オメデタイ。
ところで弁財天に姉がいるのをご存知か。文京区小石川の中央大学付近に鎮座する「北野神社」に合祀されている「貧乏神」がそう。北野神社は、昔は「牛神社」といった。
貧乏神が祀られた神社の元境内にあるお役所は…
名前を書くのは控えるが、ある日、某貧乏旗本の夢枕に現われて、
「われは貧乏神なり。弁財天の姉にして黒闇天女なり。長くに汝の家に逗留したり」
と係累まで明らかにして、旗本の貧乏ぶりを指摘までしてくれた。そして、
「われを祀って、毎日、供え物をあげれば、貴殿の家を去り、かつ裕福にして進ぜよう」
というのである。それで目が覚めてから、夢で見た貧乏神を絵に描いて、それに饌米(せんまい)とお神酒を捧げて、毎日礼拝した。
なにせ貧乏しているので藁にもすがりたいところへ、一応筋目正しき弁財天の姉というのが期待を持たせてくれる。妹の弁財天にナシ(話)をつけてくれそうな期待もある。それにしても姉妹でこうも性格が違うとは…とか、いろいろ考えたろうが、貧乏神のいう通りにした。
するとメデタク昇進もすれば、生活も豊かになった。
それを聞いた大工の棟梁が、
「今度の普請を請け負いできて成功したら拝殿を造る」
と祈願したので、お供え物で満足する慎ましい貧乏神だから、社殿の普請となったら片肌脱ぐどころではない。しゃかりきに奔走したらしい。本願成就し近所に祠も建った。
そこで心配になったのが例の元貧乏旗本である。自分の死後に子孫が粗略にして再び貧乏になってはいけない、と牛天神に貧乏神を合祀してもらった。
したがって、牛天神に貧乏神に祈る貧乏人が集まって、おおいに流行した。
今日、牛天神は「北野神社」と名を変えたが、貧乏神の祠はいかなることになっているか。なにせ北野神社の元境内にドッカと腰を据えているのは小石川税務署。
さてはこいつが貧乏の原因なのか、それとも税務署も貧乏神に神頼みか。その後ろには東京労働基準局というのも、何やら意味深だ。
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