―― 中世の山城は全国で調査されて、おおよそ県ごとに 400 から 500 もあったことが判明している。静岡県など平均すると約4キロ四方に1つあった。「ネコヤ(寝小屋・根小屋)」「堀之内」「越(こし)」「タテ(館)」「キ(木=城)」などの地名があれば、その背後の山(丘)には山城があったと見て間違いない。
山として残っている場所は、山城としてわかりやすいが、問題は団地や住宅地になってしまった場所である。
山城の条件は、まず山が要害堅固であるため、山裾には堀になる川が取り巻いている。籠城ができるように水源となる池がある。中腹にいくつもの平場を持ち、そこに城主の館や家臣の館、倉庫などが配置されていた。
団地の造成工事は山を崩し、平場(廓=くるわ)の面影もとどめない場合も多い。それでも痕跡は残り、住宅地が何段かに分かれて、その根元を川が地形に沿って曲流していれば、山城があった可能性が高い。さらに川に囲まれた台地に寺院が残り(武家館を含めて、北西の方向に一族の霊の寺院、東北(鬼門)に鎮守の寺院を配する)、八幡社や御霊社などがあれば有力だ。
あなたの駅までの通勤の道は、もしかすると山城の跡かもしれない。