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今週の話材「会計年度と武士の借金」

譜代の殿様も嵌まった! 江戸時代のローン地獄の苛烈

[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]

「百姓は生かさぬよう殺さぬよう…」とは徳川家康がいったとされる有名な言葉。しかし江戸後期、生かさぬよう殺さぬように死ぬまで年貢や俸禄米を絞り取られたのは、武士のほうだった!?

江戸時代のローン地獄の苛烈

どうして新会計年度は4月1日から始まるのか?

 日本では4月1日から新会計年度が始まるが、これは江戸の名残である。

 年貢米の歳入は3月末日までに計算を終えた。そこで問題になるのは、年貢の米を換金すること。

 諸藩の年貢は蔵元(くらもと)が、幕臣の俸祿は札差(ふださし)が換金して、場合によるとカネまで貸した。江戸も後期になると「万事がカネの世」で、蔵元や札差商人の融通なくして殿様も幕臣も生活が成り立たなくなった。

 殿様以下の侍は、商人に頭を下げる存在と化したのである。江戸後期は「士農工商」がひっくり返った時代だった。

 下総(現在の千葉県)佐倉11万石の堀田家といえば譜代の名門である。江戸後期の殿様に堀田正愛(まさちか)がいた。

 正愛は文化8年(1811)、13歳で藩主になったが、既に22万1,160両の借財を抱えていた。曾祖父が日光東照宮本坊修繕を命じられて、13万両の出費をしてから、蔵元からの借金が雪だるま式に積もっていたのである。

 ついに文化11年(1814)、佐倉藩は年々の元利の返済が年貢の総収入を上回り、財政が破綻した。青くなった16歳の正愛は、蔵元の石橋弥兵衛に相談する。
 蔵元の石橋は思案の果て、

「佐倉藩の財政運営をすべて引き受けて、藩のやりくりは私どもからの仕送りでまかないましょう」

 と決めた。佐倉藩は破産して、蔵元の石橋が破産管財人となったのである。

 むろん殿様の堀田正愛も、物見遊山の外出や老中への儀礼訪問など自粛して、君臣とも倹約を旨とした。家臣への俸祿は生命維持さえ至難なほど少ない。

 正愛が20歳になると、蔵元の石橋は、豊前小笠原家の娘を嫁にすることを認めた。ただし、生活は質素倹約である。

「毎朝の御膳は、いつも薩摩汁。香の物は毎朝、市で買った奈良漬の瓜を一ふねずつ。それに沢庵のみ。瓜の残りは昼と夜に充てる」(『佐倉市史』概略)。

 この極貧の食生活に、夫人は小笠原家に帰ってしまった。破談である。

 その6年後、堀田正愛は肝臓を病み、没した。享年26歳。

 辞書類に堀田正愛の治世は「質素倹約、蔵元制度改革、藩債整理」とあるが、その実態は以上のようなものだ。蔵元商人が年貢の歳入歳出を指図し、家臣と殿様を飢えさせ、貸した金はしっかり取り返した時代だった。

利息は年18%! 蔵宿は江戸のサラリーローンか

 幕臣たちは札差を蔵宿(くらやど)と呼んだ。

 蔵宿は幕臣の俸祿米を米屋に販売して、手数料を取って引き渡したが、手数料は少ない。しかし、俸祿米を担保に幕臣に金を貸した。その利息が年18%、毎年の俸祿が担保だから実に安全で儲かる商売である。

 400石の旗本で大番組の森山孝盛という人がいた。『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵とほぼ同時代の人である。

 森山は次男だったので、家督相続したのは34歳と遅い。それから10年近く伊勢屋を蔵宿にして、猟官運動の費用を借りていた。
 毎年20両ほどを贈答に費やしていたが、1両を8万円とすれば160万円である。それでも出世は実現しない。伊勢屋は呆れていたに違いない。

 出世が叶ったのは天明4年(1784)、45歳の時である。小普請組の組頭に任命された。加増300俵である。

 同役の組頭23人への挨拶をかねて森山は、寄り合いを開いたが、その代金は45両(360万円)。組頭への斡旋者に150両(1,200万円)、その他の御礼を含めると合計245両(1,960万円)に達した。明らかに年収を超える。

 そのため蔵宿の伊勢屋に250両の借金を申し出たが、

「もうこれ以上はお貸しできません」

 と断られた。伊勢屋は森山を45歳で小普請組頭では、先が知れてると見切ったのだろう。困惑する森山の家に間もなく和泉屋という蔵宿が尋ねて来て、

「この和泉屋がすべて引き受けます」

 と借金の付け替えを申し出た。伊勢屋からの借金返済180両と当座の資金70両、合計250両を森山は和泉屋から借りた。

 商人の常として和泉屋は情報に敏感で、森山の閨閥(母は1,000石の旗本娘で本家は諏訪高島城主。娘婿は1,000石の旗本で本家は1万1,000石の伊勢薦野城主)、高い学問の力量、などを得意先の旗本から情報を得て、森山に投資したに違いない。

 その和泉屋の思惑通り森山孝盛は、御徒頭1,000石に抜擢され、目付にまで異例の昇進をした。その間、森山は和泉屋の上得意となったはずである。

 もはや蔵宿は、幕臣を投機の対象とする時代だった。

▼「今週の話材」
著者 : 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター) 1949年、神奈川県に生まれる。日本大学芸術学部映画学科で映画理論を専攻。放送作家を経て、『やじうま大百科』(角川文庫)で雑学家に。「万年書生」と称し、東西の歴史や民俗学をはじめとする人文科学から科学技術史まで、幅広い好奇心を持ちながら「人間とは何か」を追求。著書に『「散歩学」のすすめ』(中公新書クラレ)、『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』(講談社プラスα新書)などがある。
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